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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)8440号 判決

原告 原和雄

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 青山力

被告 国

右代表者法務大臣 鈴木省吾

右訴訟代理人弁護士 武内光治

右指定代理人 谷口悟

〈ほか三名〉

被告 鈴木征雄

〈ほか二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 武内光治

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは連帯して、原告らそれぞれに対し、各金一五〇〇万円ずつ及びこれに対する昭和五八年九月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

1  主文と同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告らは夫婦であり、原隆宏(以下「隆宏」という。)は、原告らの長男として昭和三六年四月二六日出生し、高等学校卒業後、自衛隊員となり、陸上自衛隊松本駐屯地に勤務していたが、昭和五七年八月二日に死亡し、両親である原告らが相続した。

(二) 被告鈴木征雄、同中島公和、同小林洋一は、いずれも医師であり、昭和五七年八月当時、国立松本病院(以下「松本病院」という。)に勤務しており、国家公務員であった(以下、右被告三名をそれぞれ「被告鈴木医師」、「被告中島医師」、「被告小林医師」といい、総称して「被告医師ら」という。)。

2  医療事故

(一) 隆宏は、昭和五四年六月ころ、登山に行き、岩登りをしていた際に転落し、右肩関節を脱臼して治療を受け、一か月位ギブスで固定した後全快しギブスを除去したが、その約一か月後に再び脱臼して、その後一年間に五回位脱臼を繰り返すという、習慣性右肩関節脱臼の症状があった。

(二) そこで隆宏は、昭和五七年七月一二日、松本病院整形外科で診察を受け、習慣性右肩関節脱臼の治療のため、手術をすすめられ、同月二九日、同病院に入院した。

(三) 隆宏は、昭和五七年八月二日、被告鈴木医師、同中島医師を術者とし、被告小林医師を麻酔担当医として全身麻酔施用の上、習慣性右肩関節脱臼治療のため、バンカート法による手術を受けた(以下「本件手術」という。)が、右手術中に悪性高熱が発生し、心停止を起こし、同日、死亡した。

3  被告国の責任

(一) 被告医師らは、松本病院に勤務する国家公務員であり、同病院においてそれぞれが担当する職務の執行として、本件手術を施行した。

(二) 松本病院は、被告国が設置しているものであり、隆宏と被告国は、習慣性右肩関節脱臼の治療を目的として本件手術を施行する旨の準委任契約を締結した。

(三) そして、被告国が右準委任契約に従って、医療行為を行うにつき、被告医師らが、被告国の債務履行者ないし履行補助者として本件手術を行った。

(四) 被告医師らには後記のような過失ないし債務の不完全履行があるから、被告国は、国家賠償責任ないし債務不履行責任に基づき、隆宏の死亡により、同人ないし、その実父母であり、相続人である原告らに対し、生じた損害を賠償すべき責任がある。

4  被告医師らの過失ないし債務の不完全履行

医療行為は人体に傷害を負わせるものであるが、患者に生じた病的侵襲状態の排除を目的とし、病気という大きな危険から生命、身体を守るために傷害というより小さな危険を伴う行為であり、大きな危険から回避するための許された危険又は正当業務として認められているものである。医療行為というためには、①治療目的の存在、②手段、方法が妥当であること、③患者の承諾が存在すること、の三要件が必要であるが、被告医師らには、次のとおり過失ないし前記の準委任契約に基づく診療についての債務の不完全履行がある。

(一) 被告医師らは説明義務を尽くしていない。

(1) 治療行為は、常に程度の差こそあれ、医的危険を伴うものであり、それ故に医師には、患者がその治療について正しい理解と自己決定をなし得るように、現在の症状、その程度、放置することの不利益とその治療を行うことの利益、予想し得る合併症などの危険につき患者及びその家族に対し詳細に説明すべき義務がある。

(2) 説明義務の相手方は患者自身はもちろんのこと、未成年の場合にはその父母等の法定代理人である。更には、治療にあたる医師側が、通常、患者だけではなく、その配偶者又は両親から手術についての承諾書等をとっていることからして、患者の家族に対しても説明義務を負うと解すべきである。特に隆宏のように、本件手術時には成人していたとはいえ、未だ二一歳になったばかりの若年者である場合には、その両親である原告らに対しても説明義務を負うものと解すべきである。

(3) 被告医師らは、隆宏と原告らに対し、習慣性右肩関節脱臼治療のためにバンカート法による手術をしてスクリューを挿入することが必要であり、そのためには全身麻酔を施用する必要があるが、これには危険が伴うということについて十分な説明をしなかった。特に麻酔の方法につき全身麻酔を施用すること自体についての説明をしなかったし、全身麻酔を施行する上で起こり得る危険については全く説明をしなかった。

医療事故の大半は麻酔事故であり、それも局所麻酔に比べて全身麻酔を施用した場合に事故が発生する蓋然性が極めて高いのであるから、このような場合に全身麻酔を施用すること及びその場合に起こり得る危険について説明をしなかった被告医師らは、隆宏の死について、責任を免れることはできない。

(4) 隆宏は、前記のとおり、一年間に五回位脱臼しており習慣性右肩関節脱臼の症状があったが、脱臼する度に、自力で整体して直しており、多少の不更はあっても何ら日常生活に支障はなかった。また隆宏は、原告らの要請もあり、自己の進路を再考するために、昭和五八年三月の年度末には陸上自衛隊を退職して、大学進学か民間企業への再就職のどちらかを選択しようとしていたから、習慣性右肩関節脱臼の症状を早期に根治しておかなければならない必然性はなかった。

(5) 従って、全身麻酔には、何千回に一回とはいえ、生命につながる事故が発生する危険性があることを熟知していたならば、隆宏は手術を回避した筈であり、原告らも手術を回避するように隆宏を説得した筈であって、今回のような事故にあうことはなかった筈である。即ち、隆宏及び原告らとしては、病気が生死にかかわるものもしくは著しい不利益をもたらすものであるならば、たとえ全身麻酔に万が一の危険が伴うとしても手術を施行することを希望したであろうが、習慣性右肩関節脱臼というのは、極めて軽度の病気であり、しかも自力で整体できるのであるから、全身麻酔による万が一の危険を甘受してまで手術を受けなければならないような性質のものではなかった。

(6) 麻酔事故ないしこれによる死亡の結果の重大性に照らし、事故発生の可能性は、その頻度がさほど大きくないにしても、患者が手術を受けるかそれとも事故発生の可能性を考慮して現在の症状を甘受して手術を回避するかを決するための重要な要素であり、医師としては事前にこれを説明すべき義務があるところ、被告医師らは、隆宏及び原告らに対して、全身麻酔施用による事故発生の可能性について全く説明をしなかったのであり、被告医師らには過失あるいは債務の不完全履行の責任がある。

(二) 問診及び検査義務の違反ないし不履行

(1) 全身麻酔を施用するに際しては、その事故発生の蓋然性が局所麻酔に比較して極めて高いことからして、医師としては、患者に対し、その循環機能、呼吸機能につき麻酔適応検査をし、かつ患者及びその親族の病歴、症状につき詳細に問診をするべき義務があるにもかかわらず、被告医師らは、隆宏に対し、形式的に異常がないかどうか尋ねて、ありませんとの回答を得ただけに留まり、隆宏及び原告らに対し詳細な問診を行わなかった。

(2) 隆宏は、死後の解剖結果により、胸腺が肥大している一方で副腎皮質が萎縮しており、いわゆる胸腺リンパ体質であることが判明し、このことが悪性高熱の重篤な症状を救命し得なかった原因とされているが、この胸腺リンパ体質についての検査は何ら行われなかったし、たとえ胸腺リンパ体質についてはショック症状発現前にこれを識別することが困難であるとしても、万が一胸腺リンパ体質であった場合に備えて万全の準備をすべきであったのに一切準備されていなかった。

(三) 検査結果を無視ないし看過して全身麻酔を施用した過失

(1) 悪性高熱は、麻酔手術中に突然異常な高熱を発し、悪性の転帰をとる症例であるが、フローセン、メトキシフルレン等の吸入麻酔剤、脱分様性筋弛緩剤サクシニルコリンが引き金となって発症する薬物遺伝学的疾患であり、発生頻度は一万回の麻酔に約一回と推定されている。そして悪性高熱素因を有する者は、血清CPKの高値、あるいは筋疾患の合併を伴っていることはよく指摘されるところである。

(2) 従って、麻酔適応検査において血清CPKの高値が発見された場合には、被検査者が悪性高熱素因を有している蓋然性を考慮した上で、全身麻酔施用の適、不適の判断をすること及び万一手術中に悪性高熱が発生した場合に備えての万全の準備をすることが不可欠である。

(3) 隆宏は昭和五七年七月二二日、松本病院で麻酔適応検査を受けたところ、その生化学検査においてCPKが一一八であるとの結果が出た。同病院でのCPKの参考値は、一〇ないし一二〇Iu/lとされているが、高木昭夫著「悪性高体温症と筋疾患」においては、CPKの正常域は〇ないし五〇とされている。

(4) 隆宏のCPKが一一八であるという結果は、右正常域をはるかに超えるばかりか、松本病院において参考値の上限とされる一二〇にあと二と迫る高値であり、このような結果が出た場合には、これを踏まえて全身麻酔施用の適、不適を判断すべきはもちろんのこと、隆宏及び原告らに対し、その旨詳細に説明すべきである。しかし、被告医師らは、CPKの異常高値を全く無視ないし看過して全身麻酔を施用したのであり、その過失責任は免れない。

(5) CPKが高値を示していたことからして、本件手術では、麻酔専門医あるいは麻酔指導医等の麻酔についての十分な経験を積んだ医師に担当させるか、少なくともその指導監督のもとに、万が一の事故に備えて万全の準備をした上で全身麻酔を行うべきところ、被告医師らは、本来は整形外科医である被告小林医師に麻酔を担当させ、その結果、悪性高熱発生後に早急かつ十分な対応ができなかったことにより隆宏を死に至らしめた。従って、被告医師らには全身麻酔を施用する上での万全の準備を怠った上に、悪性高熱が発生した後の対応を早急かつ十分にしなかった過失ないし債務の不完全履行がある。

(6) また隆宏については、前記麻酔適応検査において薬物アレルギーであるとの結果が出ていた。薬物アレルギーの場合にショックを引き起こすことはつとに知られたことであり、ひいてはショック死することもある。しかし、被告医師らは、右結果が出たにもかかわらず、これを無視あるいは看過して薬物アレルギーに対する万全の準備を怠ったものであり、過失又は不完全履行責任を免れない。

5  損害

(一) 逸失利益

隆宏は、死亡時に満二一歳の男子であり、本件手術により死亡しなければ、以後四六年間就労が可能であった。昭和五六年度の全年齢平均給与額及び年齢別平均給与額は、月額で二一歳男子の場合は一四万二九〇〇円であるから、その生活費を収入額の五〇パーセントとすると、年間八五万七四〇〇円の純益が得られた筈であり、右逸失利益の死亡時における現価を新ホフマン方式(係数二三・五三四)で中間利息を控除して計算して算出すると、次のとおり金二〇一七万八〇五一円である。

857,400×23,534=20,178,051円

原告らは隆宏の実父母であり、その相続人の全部であるから、それぞれ右逸失利益の損害賠償請求権の二分の一に相当する金一〇〇八万九〇二五円の請求権を相続した。

(二) 慰謝料

原告らが、隆宏を失ったことにより被った精神的被害は筆舌に尽くし難く、金銭で償うことのできないものであるが、慰謝料として原告らそれぞれにつき各金五〇〇万円を下ることはない。

よって、原告らはそれぞれ、被告らに対し、被告国については、国家賠償法一条あるいは債務不履行による損害賠償請求権に基づき、被告医師らについては、不法行為あるいは債務不履行による損害賠償請求権に基づき、連帯して右損害のうち各金一五〇〇万円及びこれに対する本件結果発生以後の日であり本件訴状送達の日の翌日ないしはそれ以後の日である昭和五八年九月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否(被告ら)

1  請求原因1、2の各事実はいずれも認める。

2  同3のうち、(一)ないし(三)の事実は認めるが、(四)は争う。

3  同4頭書のうち、被告医師らに過失ないし債務の不完全履行があるとの主張は争い、その余は、医療行為に関する一般的説明として認める。

4  同4(一)(1)のうち、一般に患者が成人の場合にはその患者に対し、患者が未成年の場合にはその家族に対しても、治療行為の内容等に関し説明義務のあることは認め、その余は争う。

5  同4(一)(2)のうち、説明の相手方は、患者が成人の場合には患者自身であり、患者が未成年者の場合にはその父母等も含まれることは認め、その余は争う。

6  同4(一)(3)のうち、隆宏に対する手術がバンカート法であり、スクリューを挿入するものであったこと及び全身麻酔を施用する必要のあったことは認め、その余は争う。

7  同4(一)(4)のうち、隆宏が一年間に五回位脱臼し、習慣性右肩関節脱臼の症状があったことは認め、その余は否認する。

8  同4(一)(5)の事実は否認する。

9  同4(一)(6)は争う。

10  同4(二)(1)は争う。

11  同4(二)(2)のうち、隆宏の死後の解剖の結果、胸腺が肥大しており、副腎皮質が萎縮していたことは認め、その余は争う。

12  同4(三)(1)、(2)は争う。

13  同4(三)(3)の事実は認める。

14  同4(三)(4)ないし(6)は争う。

15  同5は争う。

三  被告らの主張

1  悪性高熱について

(一) 悪性高熱の概念

(1) 悪性高熱とは、昭和三九年、セイドマンが症例を報告して以来注目されるに至ったもので、麻酔中に突然四〇度以上の高熱を発し、悪性の転帰をとる疾患をいうが、いまだその原因も治療法も明らかではない(菊地博達ほか「麻酔時悪性高熱の研究に対する動向」麻酔と蘇生一〇巻二号昭和四九年六月号)。

(2) 昭和四二年、ウイルソンは、この疾病の特徴として、①手術の前には発熱しない、②急激な体温上昇がある、③急激に超こる体温調節の障害、④死亡率が非常に高い、という点をあげている(盛生倫夫ほか「わが国における麻酔時悪性高熱の集計」麻酔と蘇生一〇巻二号昭和四九年六月号)。

(3) 我が国においては、昭和五五年一月、広島大学医学部の盛生教授が、「次のようなものを含む定義がばく然と浮び上ってきた。」と述べている(盛生倫夫「悪性高熱症」麻酔二九巻一号昭和五五年一月号)が、現在に至るも確立された定義はない。右盛生教授は、「麻酔薬、麻酔補助薬及びその他の刺激によって①筋強直と発熱をきたすもの、②明らかな筋強直を認めないが、高熱を発するもの、③筋強直とミオグロビン尿を認めるが、発熱が軽度のもの、④筋強直は明らかではないが、中等度の発熱をきたすもの」の四種類に分類している。

(4) 発生頻度は必ずしも明らかではないが、幼児では一万五〇〇〇麻酔例に一例、成人では三万ないし五万麻酔例に一例発生するといわれている、非常に稀な疾患であり、平均死亡率は、六三・二パーセントといわれている。

(5) 症状としては、①頻脈、②筋強直、③呼吸速拍、過換気(深く早い呼吸が異常に長く続くこと。)、④チアノーゼ、⑤急激な体温上昇、⑥アシドーシス体内に炭酸ガス等の酸が蓄積した状態)等が挙げられている(British Journal of Anaesthesia四一巻一九六九年)。

(6) 原因については不明であり、誘因としては、麻酔薬、筋弛緩剤との関係が疑われているが、まだ解明されていない。山形大学の加藤滉らは、サクシン(筋弛緩剤)投与時咬筋強直をきたした例を経験したが、悪性高熱を発症した例はなかった旨報告している(加藤滉ほか「Succinylch oline投与時の咬筋強直」悪性高熱研究の進歩Ⅲ、昭和五五年一〇月)。また遺伝性疾患との関係もまた不明確である。

(二) 悪性高熱の診断基準

悪性高熱は、原因不明の疾患であるから、診断基準として確立されたものはないが、横浜市立大学の岡崎薫らは、「およそ初期症状として①サクシンによる筋緊張の増加とその持続、②血圧上昇または下降、③頻脈または期外収縮の頻発、④チアノーゼまたは血液の暗赤色化」などがあげられると述べている(岡崎薫ほか「悪性高熱症を疑わせる一症例」悪性高熱研究の進歩Ⅲ、昭和五五年一〇月)。

(三) 悪性高熱の予知法及び治療法

悪性高熱を予知することは現在不可能であり、治療法も未解決であってほとんどのものは対症療法である。

(四) 悪性高熱に対する医学会における研究の現状

現在、我が国においては、広島大学の医学部麻酔科が中心となって症例の集計及び研究が進められており、昭和五二年一〇月に第一回、昭和五四年七月に第二回の悪性高熱研究会シンポジュウムが行われている。(悪性高熱研究の進歩Ⅱ序文)。

右のように我が国の悪性高熱についての研究は、現在ようやくその緒についたという段階である。

2  隆宏に対する診療の経過等について

(一) 初診から入院までの経過(いずれも年度は昭和五七年)

(1) 七月一二日

隆宏は、右肩関節習慣性脱臼の手術による治療を希望し自衛隊松本駐屯地医務室小林隆治医師の紹介により松本病院整形外科へ来院し、被告中島医師が診察した。

隆宏の訴えによると、「三年前登山中に転倒し、右肩関節を脱臼したが、その後年五回位脱臼し、特に今年五月には三回も脱臼し、せきなど少しのことでも脱臼するようになった。」とのことであった。なお、その際、問診ではアレルギーはなく、関節造影検査を予定してキシロカインとヨードの反応テストをしたところいずれも結果はマイナスであった。

(2) 七月二〇日

被告中島医師は、隆宏に対し、肩関節脱臼側の六〇パーセントウログラフィンによる関節造影を行い、その結果関節包の損傷はないが、関節包のし緩を示すインフェリア・ポーチの拡大像を認めた。そこで被告中島医師は、これまで頻回に脱臼していることに加え隆宏も手術を希望していることなどから手術適応と考え、隆宏に対し手術の術式としてバンカート法(関節包の縫縮あるいは臼蓋縁への再縫合により骨頭の保持をはかる方法)を行うこと、全身麻酔で手術を行うことを説明し、更に外傷性脱臼が習慣性脱臼となってしまった場合日常生活に不便があるし、反復する脱臼に対する強い不安が解消しないから、手術により脱臼を防止すればこれらを解消し得るメリットがあること、手術をすると、ときには術後回旋制限が起こり得るデメリットがあること等を説明したところ、隆宏はこれを了解し、手術のための入院を予約した。

(3) 七月二二日

被告中島医師は隆宏につき、外来で術前検査として、赤沈、尿検査、血液検査、血清検査、化学検査を行い、心電図、胸部X線写真をとったが、いずれも手術を実施することについて問題になるような異常は認められなかった。

(4) 七月二九日

隆宏は、予約のとおり入院した。被告中島医師の問診によって、隆宏に既往歴及び薬物アレルギーはなく、家族にも手術で異常のあった者がないことが明らかになり、術前検査に異常がないことを確認したので、同日開かれた症例検討会において整形外科スタッフが隆宏の手術に関し種々検討した結果、術者を被告中島医師、指導介助を被告鈴木医師、麻酔担当を被告小林医師、手術予定日を八月二日と決定し、被告中島医師が隆宏にそれらのことを説明し、改めて手術の承諾を得た。

(二) 手術及び死亡までの経過

八月二日

九時〇〇分 グリセリン浣腸で反応便中等量があった。

一〇時〇〇分 術前点滴施行

一一時〇〇分 被告中島医師が回診し、全身状態に異常のないことを確認

一四時〇〇分 麻酔前投薬として硫酸アトロピン〇・五ミリグラム、アタラックスP七五ミリグラムを筋肉注射

一四時二〇分 気分良好で、血圧一二〇/七六(最大/最小。以下同じ。)体温三六・六度、脈拍一分間(以下同じ。)五四、呼吸一分間(以下同じ。)一四

一四時三〇分 手術室へ入室

一四時四五分 仰臥位をとらせ、心電計をモニタリングし、右足首の静脈を確保し、点滴を開始した後、ラボナール三〇〇ミリグラム、筋弛緩剤サクシン六〇ミリグラムで麻酔の導入を開始し、挿管し、酸素一分間につき(以下同じ。)三リットル、笑気三リットルフローセン一・〇パーセントで麻酔を開始し、麻酔を維持した。

一五時一一分 フローセンを一・五パーセントに増量し、執刀を開始した。術中特別の変化なく、バンカート法を施行した。

一六時一〇分 皮膚縫合を一部実施しはじめたところで、血圧九五/五〇と徐脈が確認され、皮膚温の上昇が触知されたのでサーミスタを用いた直腸用電子体温計で測定したところ、四二度以上の異常上昇を認めた。そこで、悪性高熱と考え、笑気とフローセンを切り、酸素を六リットルに増量し、同時にステロイドを管注するとともに大量の水、アルコールで身体を冷やし、CPK、K+、アストラップの検査を指示し、できるだけの医師の応援を求めた。

一六時二八分 心停止があり、応援の内科医師井口欽之丞(以下「井口医師」という。)同三村尚、他に外科の医師等計一〇人によって、心電図を読みながらマッサージを行い心蘇生を開始した。

一六時三〇分 ボスミン一アンプルを心臓に注射した(以下「心注」という。)。

一六時五〇分 一時拍動が出たが心室細動の状態がみられた。

一六時五二分 カウンターショック(一回目)

一七時一〇分 カウンターショック(二回目)ボスミン一アンプル心注

一七時二〇分 カウンターショック(三回目)

一七時三〇分 二パーセントキシロカイン三ミリリットル側管から注入

一七時三三分 カウンターショック(四回目)

一七時三五分 ボスミン一アンプル心注

一七時四二分 カルチコール五ミリリットル心注

一七時四五分 メイロン五〇ミリリットル側管から注入

一七時四七分 カウンターショック(五回目)

一七時五四分 カウンターショック(六回目)

一八時〇〇分 メイロン一五ミリリットル側管から注入

一八時〇三分 カウンターショック(七回目)

一八時〇六分 体温三九・七度、脈拍一四四で心室性頻拍がみられた。体温の下降が見られたので、過冷を警戒し氷のうの解除を徐々に開始したが、心室性頻拍の状態は依然続いていた。

一八時一七分 体温三八・九度、五パーセントDX五〇〇ミリリットル、イノバン一アンプルを点滴

一八時二〇分 ラシックス一アンプルを側管から注入

一八時三〇分 体温三八・三度、足からの点滴が遅くなったのでCVP挿入

一九時〇〇分 創部の残りの皮膚縫合をした。

一九時四〇分 手術台より手術室内でベッドへ移動させ、心臓マッサージはモニターを見ながら断続的に行った。

二〇時〇〇分 体温三七・〇度

二〇時二〇分 体温三六・三度

二〇時二五分 体温三五・九度、血圧五〇/四〇、五パーセントDX五〇〇ミリリットルの中ヘイノバン五アンプル追加

二〇時三〇分 ハイドロコートン一〇〇〇ミリグラム側管から注入、電気毛布をかける。

二〇時三四分 メイロン五〇ミリリットル側管から注入

二〇時五〇分 体温三五・九度

二一時〇〇分 心電図上の脈波が一応落ち着いたため、麻酔器を装着したまま酸素吸入を続けながら病棟に移した。病棟でモニターを装着し、点滴を続行し、レスピレータ(人工呼吸器)に変えたところ、また心室細動が生じたので、麻酔器を使用し酸素吸入をするとともに、被告小林医師、大房裕和医師、河内雅章医師、井口医師、中川道夫医師らによって心マッサージを行い蘇生術を続けた。

二一時〇五分 ボスミン心注

二一時〇七分 カルチコール心注、メイロン一〇〇ミリリットル点滴に追加

二一時一五分 ボスミン心注

二一時二〇分 メイロン五〇ミリリットル点滴に追加

二一時二四分 生理的食塩水一〇〇ミリリットル及びボスミン五アンプルを三方活栓より点滴開始

二一時三〇分 ボスミン一アンプル心注

二一時五〇分 ボスミン一アンプル心注

二一時五二分 カルチコール二立方センチメートル心注

二一時五五分 生理的食塩水一〇〇ミリリットル及びボスミン三アンプル点滴追加

二二時〇五分 心停止、死亡確認

(三) 解剖の結果

翌三日、原告らの了解があり、井口医師が隆宏の遺体を解剖した。剖検の結果、胸腺は二〇グラムで肥大し、副腎は左四・七グラム、右四・七グラムで副腎皮質が萎縮していることが認められた。

3  説明義務違反の主張について

(一) 隆宏は、前記の小林隆治医師に手術を勧められ、同医師の紹介で七月一二日に手術を希望して松本病院に来院した。本人に手術希望があること、年に五回位頻回に脱臼している事実から手術適応と考え、同月二〇日、肩関節脱臼側の関節造影を行い、次いで同月二二日、術前検査を施行した。この間、担当の被告中島医師は、隆宏に対し術式、麻酔法等の説明を行い、又手術により脱臼を防止し得るメリットと術後回旋制限の起こり得るデメリットのあること等の説明をし、その了解があって入院し手術することとなったのである。

(二) 隆宏は、当時二一歳の自衛隊員であって、独立した社会人である。原告らは、原告らに術前何らの説明も行っていない旨主張するが、松本病院整形外科では、毎週火曜日と木曜日に医長面談日を設けている。希望する患者はもちろんのこと家族とも面談し、病状説明、手術説明、予後説明等を行うだけでなく、全身状態の悪い患者や、術前検査で異常がある患者については家族の来院を求め、十分説明をして両者のコンタクトを密にするよう努力している。このことは入院時のオリエンテーションで全患者に説明しているところであるが、隆宏が手術を目的に入院を予約してから手術当日までには十分な時間があり、隆宏は病棟から電話で原告らと再三話し合っていたにもかかわらず、原告らや隆宏からその申込みはなかった。

(三) また、術前検査で全く異常がなかったので、隆宏の手術について、積極的に原告らを呼び出して説明する必要まではなかった。

(四) バンカート法による手術をするに当たっては、患者に対し、麻酔は全身麻酔であることは当然伝えてある。何故なら、この手術は上肢三大関節の中で一番大きい肩関節を展開する手術で、全身麻酔で行うのが普通であり、局所麻酔で行うことは困難であるからである。そして、全身麻酔を施行する前には必ず薬物アレルギー、既往歴の有無、肺及び気管支の疾患、ぜん息、心臓疾患、高血圧、肝臓疾患、糖尿病、緑内障、筋疾患、身体異常(奇形)等の有無のチェックを問診及び術前検査で行っている。それは、これらの疾患が全身麻酔を施行する場合、合併症を起こしやすく問題となるからである。このチェックで異常があった場合には、前記のように当然患者の家族に説明するが、本件では何ら異常が認められず、説明の必要はなかった。従ってその必要のあることを前提とする原告らの主張は失当である。

(五)(1) 隆宏は、頻回の脱臼で日常生活や勤務に支障があるほか、近々自衛隊を退職する予定であるので、それまでに根治的治療を希望していた。

(2) 通常、肩関節脱臼は整復後三週間の固定を要するが、この間、日常生活、勤務は大幅に制限をうける。また習慣性肩関節脱臼が頻回に起こるときは、上肢の機能は相当強く障害を受ける。患者は脱臼が起こり易い運動や肢位を避けようとし、肩関節に不安と脱力感をいだき、上肢の使用力が制限され、陳旧のものでは、関節包や関節窩の形態がさらに変化し、ますます脱臼しやすくなるといわれている(「神中整形外科学」一九七七年版)。

(3) 隆宏が初診時に担当医に述べているせきなどすると脱臼しそうな感があること及び自力で整復出来た場合もあること等は、構造上の変化が著明であることを示唆する。

(4) また、習慣性肩関節脱臼の根治的治療は手術以外にないことは整形外科医の常職である(「神中整形外科学」山本龍二「習慣性肩関節前方脱臼の病態と治療」日整会誌一九八三年五七号)。そして、整形外科は機能と日常生活動作の向上を旨とする領域であり、習慣性肩関節脱臼は重大な疾患である。

(5) 隆宏が根治的治療を希望したことと、医学上の見解とが一致して手術が行われたのであって、極めて軽度の病気に対して、隆宏の決定していない意志を誘導して手術を行ったかのような原告らの主張は失当である。

(六)(1) 術前に合併症を起こしやすい疾患がチェックできた場合に、患者及び家族にその説明義務を負うのは当然である。しかし、悪性高熱は、外科系の医師でもその経験者が極く少ないという、非常にまれな全身麻酔偶発症である。

(2) 患者が過去に悪性高熱の既往があったと申告した場合、また患者の一族にその経験者があったと申告された場合には、悪性高熱の危険性について説明義務を負うが、原告らの主張は説明義務の常識を超えている。麻酔科学会でも悪性高熱の説明義務は、特殊の場合以外ないとの見解である。

4  問診及び検査義務違反の主張について

(一)(1) 現在松本病院で行われている術前検査及び問診は現在の医学の常識を満足させるオーソドックスなものであり、隆宏に対しても十分行われている。

(2) 原告らは、隆宏及び原告らに対して詳細な問診がされていないと主張するが、前記のとおり隆宏は術前検査、問診で全く異常がなく、また隆宏は成人であり、親族の病歴、症状についても知り得る年齢であるから、仮に不審な点があれば原告らに直接問診しなくても、隆宏を介してただし得るし、手術を予定し問診してから手術までに日時があったのであるから、そのことを隆宏に期待したとしても非難されることはない。

(3) なお、原告らは、親族の病歴症状につき詳細に問診をするべき義務があると主張するが、原告らは、それらの親族中に全身麻酔、特にフローセン麻酔を禁忌とする者がいたという事実を前提にした主張をしているわけではないから、問診義務違反の主張自体失当である。

(4) この悪性高熱と問診義務については、日本麻酔学会医事紛争対策委員会の見解(麻酔、昭和五一年五月号)があるが、次のように、実際的ではないというものである。

「このように原因不明の、きわめてまれな、しかも麻酔を行わないと発見できないような疾患を、麻酔施行患者全員に対してその可能性を予測して詳細な問診を行うことは、現在の診療体制では困難である。即ち、従来行っている父母兄弟姉妹のほか、新たに叔父叔母以上の家系(本症の場合どこまでひろげる必要があるか判断しかねるが)にひろげると患者及びその家族の記憶または知識レベルによって麻酔科医が得られる情報(病名、死因など)には限界があり、かつ不確実である。問診の確定には多くの時間を要するので実際的ではない。」

(二) 原告らは、いわゆる胸腺リンパ体質であることが判明し、このことが悪性高熱の重篤な症状を救命し得なかった原因とされていると主張しているが、これは原告らの理解不足である。隆宏に関する剖検説明では、副腎皮質の萎縮が認められたので、これが医師らの必死の蘇生術にも反応しなかった原因の一つであるかも知れない旨説明したのである。

5  検査結果の無視ないし看過の過失の主張について

(一) 原告らは血清CPKの高値が発見された場合には、被検査者が悪性高熱素因を有している蓋然性を考慮し麻酔方法の選択及び万一の発症に備えて万全の準備が不可欠であると主張するが、その主張の根拠である原告ら引用の「悪性高体温症と筋疾患」(高木昭夫「神経内科」一九七五年)には、「本症は一旦発現した際には非常に致命率の高いものである。それ故素因を有するものを麻酔実施前に確認できれば理想的である。素因者の発見ないし確認に多少なりとも有効な手段として、①家族歴、身体所見、②血清、CPK測定、③生検筋を応用してのハロセン感受性の測定等がある。」と記述されているだけであって、しかも同論文は、さらに「血清CPKの測定は簡便であるが半数近くの発症者では正常値を呈したことに留意すべきであろう。また異常高値を呈したとしても、必ずしも本症の素因者でないことは明瞭である。従って、CPK測定単独ではあまり有効な手段とはなり得ない。」としている。他方、このような考え方に対しては「潜在性筋疾患と全身麻酔との関係に注目し、全身麻酔実施前に血清CPKの検査を進めている報告もあり、CPKは多少の参考になるが、いまだ発生の予測にはいたらない。」(盛生倫夫ほか「麻酔時悪性高熱」臨床生理六巻六号一九七六年)とされている。以上のようにこの検査は、ルーチンのスクリーニングとしては特異性がないものであるが、多少の参考になるからと検査をすすめるものもあるので、松本病院ではルーチンに術前検査でCPKを測定し参考としている。隆宏の術前のCPKは一一八IU/l(同病院正常値一〇ないし一二〇IU/l)で正常の範囲内であった。

(二)(1) 原告らは前記高木「悪性高体温と筋疾患」でCPKの正常域が〇ないし五〇IU/lであるのに、松本病院のCPKの正常域が一〇ないし一二〇IU/lであり高値であること、また隆宏の術前CPKが一一八IU/lであり、同病院での正常値の上限であることを問題としているが、これは、測定法及び正常値に関する理解を欠くものである。

(2) CPKの測定法には四つあり(庄司進一、日本臨床四五三、一九八〇年)松本病院ではこの中のNADPH法で一番広く用いられているRosalki法を採用している。その四つの方法では、CPK正常値はそれぞれ異なっている。また、同じRosa-lki法でも試薬の濃度、温度等によって正常値は異なるものである。例えば参考までに同じ庄司氏の文献から引用すると、

Calbiochem社CPK Stat-Pack(Rosalki法)

男性 五ないし五〇mu/ml

女性 五ないし三〇mu/ml

信州大学医学部附属病院中央検査室

(Rosalki法)

男性(一〇ないし五九歳) 五〇ないし二一〇IU/l

女性(一〇ないし五九歳) 四〇ないし一六〇IU/l

松本病院 一〇ないし一二〇IU/l

(ただしIU/l≒mu/ml)

と非常に差がある。

(3) 先に挙げた高木氏の文献では、その測定法に関しては不明であるが、松本病院では測定方法はRosalki法の一種であり、CPK測定用の試薬は、ヘキストジャパン社のものである。従って高木氏の挙げる正常値と異なるのは当然である。

(4) 次に松本病院でのCPK正常値が一〇ないし一二〇IU/lであることの解釈であるが、これは正常人集団について測定した分布から平均±二、S・Dをとったものである。本例の測定値は一一八IU/lであり、完全にこの正常範囲内にあることを示している。

(5) 従って、CPK値が異常であるという原告らの主張自体が失当であるので、この主張を前提とする本件麻酔に関する過失の主張もまたすべて理由がない。

(三) 原告らは被告小林医師に麻酔を担当させたために悪性高熱が発生し、かつ発生後に早急かつ十分な対応ができなかった旨主張する。しかし、そもそも本症の原因は判然とせず、現在でもその発生を的確に予測することは全く不可能なことであるから、誰が麻酔を担当したから本症を発生させたという関係はないばかりでなく、関係医師らは本症について十分な知見を有していたから、異常確認直後から早急に前記のような救急措置をとったのである。悪性高熱の予後は激症度によって決まるもので、一度激症悪性高熱が発生すれば手術中のどの時期においても、その予後の悪いことは報告されている症例の示すところであって、冷却措置その他の対症療法をもって必ずしも死亡の結果を回避し得るという疾患ではない。従って、早急かつ十分な対応ができなかったために死に至らしめたという非難は失当である。

(四)(1) 隆宏は、外来におけるチェックで、アレルギー体質ではないことを直筆で記入している。隆宏には前記麻酔適応検査において薬物アレルギーの結果が出ていたとの主張であるが、これは、多分手術患者チェックリストで「うるし」にかぶれた既往があることをさしていると思われる。しかし「うるし」アレルギーは薬物アレルギーの範ちゅうに入るものではなく、他の薬剤との交叉感作は証明されておらず、うるし単独のものである。従って術前検査において薬物アレルギーが出ていたとの原告の主張は失当である。

(2) なお、悪性高熱は薬物アレルギーによって生ずるというものではないから、原告らの薬物アレルギーに関する主張自体本件と無関係である。

四  被告らの主張に対する認否

1  被告らの主張1は知らない。

2  同2(一)(1)の事実のうち、小林隆治医師が隆宏に対し、松本病院を紹介したことは認めるが、隆宏が手術を希望して同病院へ行ったことは否認する。その余は知らない。

3  同2(一)(2)の事実のうち、隆宏が手術を希望していたこと、被告中島医師が隆宏に対し、全身麻酔で手術を行うことを説明したこと及び隆宏が被告中島医師の説明を了解したことは否認する。その余は知らない。

4  同2(一)(3)の事実のうち、隆宏の術前検査で異常が認められなかったことは否認する。その余は知らない。

5  同2(一)(4)の事実のうち、隆宏が松本病院に入院したことは認め、被告中島医師の問診の結果及び術前検査に異常がないことは否認する。その余は知らない。

6  同2(二)の事実は知らない。

7  同2(三)の事実のうち、隆宏の解剖の結果、胸腺の肥大と副腎皮質の萎縮が認められたことは認める。その余は知らない。

8  同3(一)の事実のうち、小林隆治医師が隆宏に対し、松本病院を紹介したことは認めるが、同医師が隆宏に手術を勧めたこと、隆宏が手術を希望して松本病院に来院したこと、被告中島医師の説明及び隆宏の了解の事実は否認する。その余は知らない。

9  同3(二)の事実のうち、隆宏が当時二一歳の自衛隊員であったことは認め、松本病院整形外科では、毎週火曜日と木曜日に医長面談日を設けているとの事実及びその内容、入院時のオリエンテーションで全患者に説明しているという点は知らない。その余は否認する。

10  同3(三)、(四)は争う。

11  同3(五)(1)の事実のうち、隆宏が近々自衛隊を退職する予定であったことは認めるが、その余は否認する。

12  同3(五)(2)ないし(4)の事実は知らない。

13  同3(五)(5)は争う。

14  同3(六)は争う。

15  同4、5は争う。

五  原告らの反論

1  隆宏は、松本病院で被告医師らの診察を受け、手術を勧められてはじめて手術する決意をしたのである。

2  被告医師らは隆宏に習慣性肩関節脱臼を根治する方法として手術を行うとの説明は行ったが、全身麻酔を施用することの明確な危険性については全く説明をしなかった。

3  被告医師らは、家族である原告らに対して何らの説明を行わなかったばかりでなく、隆宏に対しても、家族に病状説明、手術説明、予後説明を受ける機会があることを説明しなかった。

4  原告らは手術の説明及び立会並びに隆宏を自らの手で看護することを望み、原告らが松本に到着するまで手術を延期することを希望していた。そのことは隆宏を通じて被告医師らないし松本病院に伝わっていた筈である。しかし、被告医師らは、台風の影響で鉄道が運休して原告らが松本に行くことができないでいる事実を知りながら、病院側の手術の予定を変更することはできないとして、本件手術を強行した。

六  原告らの反論に対する認否

すべて争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1、2、3(一)ないし(三)の各事実、隆宏が自衛隊松本駐屯地の小林隆治医師の紹介で松本病院に来院したこと、本件手術当時、隆宏は二一歳の自衛隊員であったが、近々退職する予定であったこと、本件手術では、スクリューを挿入するため全身麻酔を施用する必要があったこと、隆宏死亡後の解剖の結果、胸腺の肥大と副腎皮質の萎縮が認められたことはいずれも当事者間に争いがない。

二  隆宏の死亡に至る経過

《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  隆宏は、昭和五四年六月ころ、登山中に転落し、右肩関節を脱臼して治療を受け、一か月位ギブスで固定したが、ギブス除去後一か月で再び脱臼し、その後一年に五回位脱臼を繰り返していた(この事実は当事者間に争いがない。)が、特に処置しないでいたところ、昭和五七年五月には、月三回も脱臼するようになったため、手術による根治的治療を希望し、自衛隊松本駐屯地の小林隆治医師の紹介で松本病院に来院した。

2(一)  昭和五七年七月一二日の松本病院初診時には、隆宏は、診察前に、来院の理由、症状、既往症やアレルギー体質の有無等をチェックする「はじめて診察を受けられる方へ」と題する書面に所定の事項を記入した上(既往症、アレルギー体質はないと記入している。)、被告中島医師の診察を受けた(右のうち、隆宏が昭和五七年七月一二日に松本病院で診察を受けたことは当事者間に争いがない。)。

(二)  隆宏は、右診察において、前記の症状を訴えると共に、せきなどをすると脱臼しやすい感じがすることを被告中島医師に告げ、同医師は、隆宏の症状を習慣性肩関節脱臼と診断し、アレルギー体質ではないことを問診で確認し、右肩のレントゲン撮影をした。

(三)  被告中島医師は、隆宏に対し、手術適応である旨を告げ、このままにしておくと治らず、日常生活に支障が生ずるおそれがあること、関節包を縫縮する手術方法があるが、その手術をした場合には、術後しばらくは肩の外旋運動の制限等が生じ、そのためにしばらく機能訓練が必要となる旨説明したところ、隆宏は手術を希望して関節造影を予約し、右関節造影をするために必要な、局所麻酔についてのキシロカインテスト及び造影剤に対するアレルギーの有無を調べるためのヨードテストを受けたが、いずれも結果はマイナスであった。

3  同月二〇日、被告中島医師は、隆宏に対し、六〇パーセントウログラフィンによる関節造影を行い、隆宏は、手術のための入院を予約した。その上で、同月二二日、術前検査として、尿、血液検査、生化学、血清、出血、凝固検査、心電図、胸部X線写真撮影等を行った。その主な検査結果は、別紙検査結果一覧表記載のとおりであり、心電図所見は正常であった(なお、検査項目の略号の和文名称及び検査目的は、別紙検査項目一覧表記載のとおりである。以下同じ。)。

4  同月二九日、隆宏は松本病院に入院した(この事実は当事者間に争いがない。)。そして被告小林医師の診察を受け、既往症と薬物アレルギーの有無をきかれたが、隆宏はいずれも特にない旨回答している。更に、同日、看護婦から家族の病歴についてきかれたが特にない旨回答し、体質についてきかれた際に、うるしにかぶれる旨答えていた。同日、松本病院整形外科では、被告医師らによる隆宏に対する症例検討会を開き、術前検査の結果を基に全身状態のチェック、術式としてバンカート法を採用することを再確認し、被告鈴木医師の指導介助のもとに、執刀医を被告中島医師、麻酔担当を被告小林医師として、同年八月二日に手術を実施することを決定した。

5  バンカート法による手術のためには全身麻酔をすることが必要となるが、被告中島医師は、隆宏に対し、入院後、全身麻酔を施用することを告げた。隆宏は、入院当日に、手術についての承諾書を松本病院に提出している。

6(一)  隆宏は、昭和五七年八月二日、バンカート法による本件手術を受け、手術中に悪性高熱が発生し、心停止を起こし、同日死亡した(右事実は当事者間に争いがない。)が、同日の経過及び処置は被告らの主張2(二)のとおりであって、手術室入室の時点では徐脈ではあったが、体温、血圧は平常であったし、その後も挿管、執刀開始、手術実施に伴う血圧(午後三時一四〇/六五、同四〇分一五五/七三)、脈搏(同じく一二五、一四五)の上昇がみられただけで安定していた。

(二)  その後、血圧(午後三時五〇分一三〇/六〇、午後四時一二〇/五〇)、脈搏(同じく一四〇、九〇)は、いずれも低下していき、被告医師らは、午後四時五分ころ、異常を感じ、フローセンの減量等の処置をしたが、尚状況が好転しなかったため午後四時一五分に手術を中止し、麻酔剤の投与を中止した。

(三)  その後、被告鈴木医師が隆宏の身体に触れたところ、高熱を発していたため、悪性高熱と判断し、他の医師の応援を求めて身体を冷却すると共に、蘇生に努めたが、午後一〇時五分死亡した。

7  昭和五七年八月三日、松本病院において、井口医師、山下医師の執刀により隆宏の病理解剖が実施されたが、右病理解剖学的診断によっても本件は悪性高熱による死亡であることが確認され、同時に隆宏には胸腺の肥大(二〇グラム)副腎皮質の萎縮(四・七グラム/四・七グラム)があったことが確認された(右のうち、隆宏の解剖の結果、胸腺の肥大と副腎皮質の萎縮が認められたことは、当事者間に争いがない。)。

三  悪性高熱について

《証拠省略》によれば、次のことが認められる。

1  悪性高熱の概念

一九六四年(昭和三九年)、全身麻酔の施術中に突然四〇度を超える高熱を発し、予後の極めて悪い症例が存在することが、外国の研究者によって指摘され、その後悪性過高熱さらに悪性高体温症あるいは悪性高熱と名付けられ、多くの症例が発表され研究されるようになっている。

その発生率については、一般に幼児では一万五〇〇〇例に一例、成人では三万ないし五万例に一例と言われているが、予後は極めて悪く、死亡率は六〇ないし七〇パーセントに達する。中でも、最高体温が高いものほど死亡率が高い。

2  悪性高熱の発生原因

悪性高熱の発生原因は未だ解明されていない。誘因として、麻酔剤フローセン、筋弛緩剤サクシンが強く疑われているが、サクシン投与時の筋強直と悪性高熱との関係を否定する見解も存在している。また、遺伝的な筋疾患と悪性高熱との関係も疑われている。

3  悪性高熱の治療法

悪性高熱に対する有効な治療法は確立されておらず、対症療法として次の方法をとるしかない。

(一)  吸入麻酔薬及び筋弛緩薬の投与を中止し、手術も中止する。

(二)  一〇〇パーセント酸素で過換気を行う。

(三)  積極的な冷却の開始

氷のう、氷水、扇風機の使用、氷却した乳酸リンゲル液の投与、冷却のための浣腸、胃内冷却、膀胱洗滌、部分的人工心肺バイパスを考慮する。体温が三八・三度になれば冷却を中止し、それを超えれば冷却を再開する。

(四)  薬物療法

個々の症状に応じて、重曹(メイロンーアシドーシスの補正)、インシュリン、ブドウ糖(高カリウム血症について)、ブロカイン・アミド、ステロイド剤、マンニトール(腎障害予防)等の投与が挙げられる。

4  悪性高熱の予知法

(一)  悪性高熱の予知法として決定的なものはなく、ただ、遺伝や筋疾患との関係が疑われていることから、次のものが、本症の素因者の発見ないし確認に多少なりとも有効な手段として挙げられている。

(1) 患者の親族に本症に罹患した者がいるかどうかを確認し、いる場合には全身麻酔施行は避ける。

(2) 患者又は親族に筋疾患が認められる場合には注意をする。

(3) 筋疾患の場合に高値を示す血清CPKを測定し、高値がでた場合には注意する。

(4) 生検筋を応用してのフローセン感受性の測定をする。

(二)  右のうち、血清CPKについては、本症発症者の半数近くは正常値であり、また異常高値を示したからと言って必ずしも本症の素因者とは言えないとされており、CPK測定だけではあまり有効な予知手段とはなり得ない。

四  説明義務違反の有無について

1  原告らに対する説明義務の有無について

隆宏は、本件手術当時、二一歳の自衛隊員であって、医師の説明を理解し得るだけの理解力、判断力を有していたものと推認することができるのであるから、医師としては、そのような場合にまで、両親である原告らに対して説明義務を負うものとは解せられない。原告らは、一般に手術の場合には患者だけではなく両親からも手術についての承諾書を徴している旨主張し、《証拠省略》によれば、松本病院で使用されている承諾書には患者のほか身元引受者住所氏名の記載欄があることが認められるが、原告らの右主張を認めるに足りる証拠はなく、また右承諾書の趣旨は、その身元引受者自身が患者の手術を承諾するという趣旨ではなく、手術後の患者の身元を引受けることを承諾する趣旨であると解するのが相当である。よって、前記原告らの主張は失当である。

2  隆宏に対する説明について

(一)  前記二2、5で認定したとおり、被告中島医師は、昭和五七年七月一二日の初診時に、隆宏に対し、本件手術の内容、本件手術をしないことにより日常生活に支障が生ずるおそれがあること及び本件手術をした場合に術後肩の外旋運動の制限等が生じ、しばらく機能訓練が必要となることを説明し、同月二九日の隆宏の入院後に本件手術を行うについて全身麻酔を施用することを説明した。しかし、その際、全身麻酔時に事故が起こり得ることまで説明したと認めるに足りる証拠はない。

(二)  しかしながら、《証拠省略》によれば、隆宏は、昭和五七年六月、肩の関節に巻いている筋肉がゆるんでいるのを縮める手術を受けたい旨原告らに相談していることが認められ、右事実に、前記事実を総合すれば、隆宏は、昭和五七年六月の時点で、既にバンカート法による手術がどういうものかを理解した上で、強く、右手術を受けることを望んで、小林隆治医師の紹介により松本病院に入院したものと推認できる。

(三)  また、前記事実に《証拠省略》を総合すれば、隆宏は、本件手術前、非常に脱臼しやすく、かつこれを自分で容易に整復できるような状態にあり、習慣性肩関節脱臼としては、将来、より習慣性になりやすいため、特に予防に注意しなければならない症状であったものと認められ、それ故、隆宏自身、昭和五八年三月の自衛隊退職、その後の進学ないし再就職準備を控えて本件手術を強く希望していたものと推認できる。

(四)  以上のことを前提に、被告中島医師の隆宏に対する説明が十分と言えるかどうかについて検討するに、一般に手術における医師の説明義務は、患者が手術を受けることによる利害得失を検討し、手術を受けるかどうかにつき自己決定し得るようにするため認められた医師の義務であるが、本件においては前記認定のとおり、患者である隆宏が手術を受けることについて強い希望を有しており、かつ、予想される不利益が悪性高熱という成人の場合三万ないし五万例に一例という極めて稀にしか発生しない疾病であることに照らせば、本件においては被告中島医師には全身麻酔を施用することによって極めて稀ではあるが悪性高熱のような事故が起こり得ることを隆宏に説明する義務はないものと言うべきである。なお、本件において、仮に右の説明をしていたものとすれば隆宏が本件手術を受けることを拒否したであろうと認めるに足りる証拠はない。

五  問診義務違反の有無について

1  悪性高熱の予知法として、患者本人の既往症、身体所見、家族歴が多少なりとも有効であると考えられていること、隆宏については、入院時に被告小林医師が既往症について特にないことを確認し、看護婦が家族歴を確認していることは前記のとおりであるが、被告医師らにおいて、特に悪性高熱を念頭においた上で直接家族歴を確認したと認めるに足りる証拠はない。

2  しかしながら、家族歴については、悪性高熱の予知法として確立されたものとは言うことができず、また、前記のように隆宏の術前検査の結果にとりたてて異常は認められず(血清CPKについては後記のとおり)、《証拠省略》によれば、隆宏の親族には悪性高熱に罹患した者はいないことが認められるのであるから、被告医師らにおいて、直接隆宏に対し、悪性高熱を念頭においた家族歴についての問診をしなかったことが過失を構成するものとは認められない。

3  なお、原告らは、両親である原告らに対しても問診する義務がある旨主張するが、悪性高熱が極めて稀にしか発症しないものであること及び本件のように隆宏が既に二一歳の社会人であり、術前検査で特に異常が認められなかったことを考えれば、このような場合にまで、両親に対する問診義務を課することは、いたずらに医師の負担を重くし、判断を制約することになり妥当ではない。

六  検査義務違反の有無について

1  被告中島医師は、隆宏について、麻酔適応か否かを判断し得るだけの術前検査を実施している。

2  隆宏死亡後の解剖の結果、隆宏には胸腺の肥大と副腎皮質の萎縮が認められたが、これらが悪性高熱と何らかの関係を有していると認めるに足りる証拠はない。また、《証拠省略》によれば、これらは、死亡後解剖してみてはじめて判明するものであって、生前、検査等により知り得るものではないことが認められる。

従って、被告医師らには、胸腺肥大や副腎皮質萎縮を事前に予測すべき注意義務はないものと言うべきである。

七  検査結果を無視ないし看過して全身麻酔を施用した過失の有無について

1  血清CPKの検査値について

(一)  隆宏についての血清CPKの検査値は、一一八であり、松本病院における参考値の範囲内であったが、《証拠省略》によれば、高木昭夫著「悪性高体温症と筋疾患」には、血清CPKの正常値として〇ないし五〇という数値が挙げられていることが認められる。

(二)  しかしながら、《証拠省略》によれば、血清CPKの正常値は、測定法と測定施設により異なっており、同じRosalki法によっても、五ないし五〇mu/mlというものもあれば、五〇ないし二一〇IU/l(信州大学医学部附属病院中央検査室)というものもあることが認められるのであるから、前記「悪性高体温症と筋疾患」の記載があるからといって、隆宏の検査結果が異常であると言うことはできない。

(三)  更に、血清CPK値については、悪性高熱の予知法として疑問視する考え方も存在しており、右は予知法として確立されたものとは言えないのであるから、右検査結果ばかりでなく、他の検査結果、所見等により総合的に判断すべきものと言うべきであるが、他の検査結果及び所見等に異常がなかったことは前記のとおりである。

2  麻酔法の選択について

(一)  《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(1) フローセンは、悪性高熱の誘因として強く疑われているが、それを用いた麻酔法は一般的であり、多くの場合に用いられている。

(2) フローセンを使用しないもので、本件手術において使用可能であった全身麻酔法としてNLAがあるが、この方法には、次のような短所があるため、一般的には用いられず、循環器系に不安のある老人とか全身状態の悪い者、度々フローセン麻酔を受けていてフローセンの影響による肝障害を起こすおそれがある者等に対してだけ使用されている。

(ア) 調節性に乏しく、麻酔深度を一定に保ちにくい。

(イ) 術中鎮痛薬追加投与の時期の判定が難しい。

(ウ) 術後に薬品の影響が残存し、稀に錐体外路刺激症状などを呈することがある。

(エ) 痙れん性素因を有する患者の場合、痙れんを誘発することがある。

(3) 被告医師らは、術前検査の結果、隆宏の全身状態が良好であったこと及び麻酔を担当する被告小林医師がフローセン麻酔に慣れており、NLAの経験が全くなかったことから、NLAではなくフローセンを用いて全身麻酔を行った。

(二)  右事実及び前記事実に照らして検討するに、隆宏についての術前の検査結果及び所見にはNLA法によることを要するような点は見当たらず、NLA法の短所及び何よりも担当医がフローセン麻酔に慣れていることを考えれば、本件の場合において、被告医師らがNLA法ではなくフローセン麻酔を選択したことに過失があると言うことはできない。

3  麻酔担当医の選定について

(一)  《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(1) 本件手術において麻酔を担当した被告小林医師は、整形外科の専門医であり、麻酔については、大学時代の講義、臨床実習を受けたほか、昭和五四年五月医師免許取得後、実際の手術の際に、整形外科の先輩の医師の指導の下で麻酔を担当しながら勉強してきている。

(2) 松本病院には、当時麻酔科が存在し、外科に所属する麻酔標榜医が一名いたが、右標榜医がすべての手術に立ち会うことができるような状態ではなかったため、大規模な手術で人手を要する場合、全身状態の非常に悪い老人や小人の手術の場合等の外は右標榜医の立会いは求めず、整形外科の医師(被告医師ら三名のうち一名)が麻酔を担当するようにしていた。

(二)  右の事実に照らせば、被告小林医師は、麻酔の専門医ではなかったにせよ臨床経験もあったのであるから、松本病院の人的規模、麻酔専門医の数を考えれば、隆宏のように全身状態に特に問題がない患者に対して、特に大規模でもない本件手術を施行する場合にまで常に麻酔専門医の立会いを要するとまでは言うことはできないものと言うべきである。

(三)  また、本件においては、被告鈴木医師が悪性高熱を発見した後、速かに蘇生術が施されているのであり、右蘇生術の施行について特に問題とされるべき点も見当たらないのであるから、経験の比較的少ない被告小林医師に麻酔を担当させたことをもって過失であると言うことはできない。

4  薬物アレルギーの有無について

隆宏が、入院時に、看護婦に対して、うるしにかぶれたことがある旨告げたことは前記のとおりであるが、《証拠省略》によれば、うるしかぶれは、毒物性皮膚炎と呼ばれ、その原因物質において、薬物アレルギーと区別されるものであることが認められ、隆宏については、他に薬物アレルギーは認められなかったのであるから、この点に関する原告らの主張は、その余の点について判断するまでもなく失当である。

八  以上の次第で、原告らの本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大城光代 裁判官 野崎弥純 團藤丈士)

〈以下省略〉

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